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神戸地方裁判所 昭和58年(ワ)145号 判決

原告

森本光乃

右訴訟代理人

山崎満幾美

被告

三輪博彦

右訴訟代理人

奥村孝

中原和之

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  申立

一  原告

1  被告は、原告に対し、金二、二五七万七、五六一円及び内金二、一〇七万七、五六一円に対する昭和五六年五月二九日から、内金一五〇万円に対する本判決言渡の翌日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  右1項につき仮執行宣言

二  被告

主文同旨

第二  主張

一  請求原因

1  診療契約の締結及び診療経過(事故の発生)

原告は、長男の光一(昭和四一年一二月二〇日生)が小児喘息の発作を起したので、昭和五六年五月二八日午後九時半過頃、同人を被告(医師)の開業する小児科、内科医院に赴かせて、被告に診療を依頼したところ、その受診中に、光一の容態が急変し、ひきつけ、失禁、おう吐等を起し、間もなく同日午後一〇時二〇分頃、急性心不全により死亡した。〈以下、事実省略〉

理由

一請求原因1(診療契約の締結及び診療経過、事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められ〈る。〉

1  原告の長男光一(昭和四一年一二月二〇日生)は、七歳頃から小児気管支喘息にかかり、昭和四三(五?)年一〇月頃より被告医院において、体質改善のための滅感作用療法や注射(週一回程度)を受けたり、喘息発作を繰り返してはその都度、被告の治療(主として気管支拡張剤の注射、投薬等)を受けていたが、昭和五六年五月初頃からは症状が一段と悪化して、数日おきに通院し、時には一日に朝晩二回も受診する状態であつた。

2  同月二八日、光一は朝から疲労を訴えて学校を休み、午前一〇時半頃、被告医院で治療(ボスミン注射二本とメジヘラーD吸入薬の投薬)を受けたが、午後一〇時前になつて、再び激しい喘息発作に見舞われ、苦痛を訴えたので、直ちに被告医院に急患の依頼をして、父親の車で被告医院に赴かせたところ、光一は、すでに顔面蒼白で発汗し、下顎を前に突き出して両眼を吊り上げ、呼吸も困難で両手指末端部にチアノーゼを起し、相当な低酸素血症が生じている状態であつた。

3  そこで、被告は、光一の容態は喘息発作による急激なショック症状と判断し、直ちに妻の博子に救急車の要請を命じるとともに、光一をベッドに横臥させた途端、突如激しいけいれんを起し(口中から吐物、尿失禁、四肢弛緩等)、聴診しても心音が全く聞かれなかつたため(心停止)、即座にボスミン0.2ccを心臓部に、ビタカンファー二ccを静脈と皮下に各注射し、更にボスミン0.1ccを再度心臓部に注射した上、同人の口に開口器をかませて気道を確保しながら、同人に馬乗りになつて両手で肋骨の下部を圧迫するホワード法(用手法)による人工呼吸を行うとともに、博子と二人で交互に心臓マッサージを約二〇分間続けたが、遂に蘇生せず、午後一〇時二〇分頃、急性心不全により死亡するにいたつた。

なお、その際、被告が口対口法による人工呼吸を行わなかつたのは、光一の口から吐物が出ていたこと、従前の診療経過からして気管内分泌物(痰等)が貯留しているおそれがあつたので、右の方法では却つて吐物や分泌物が気管を詰らせて十分な効果が得られないと判断したためである。

4  その間、博子は、午後一〇時一五分頃、一一九番に電話して救急車の出動を要請したが、その際、偶々近くに待機中の救急車がなかつたため、「遠方から回すから、転送先の病院を確保されたい。」旨を指示されたので、一旦電話を切り、被告に尋ねて西市民病院に電話したところ、小児科医が不在とのことで断られ、なおも懇請して押問答を続けていたが、被告が「もういい、切れ。」といつたのでこれを切つた上、再び一一九番に電話し、救急車はようやく午後一〇時三七分頃に到着したが、そのときはすでに光一は死亡していた。

三右認定の事実関係から被告の責任原因の有無につき、以下順次検討する。

1  救急医療措置の懈怠について

一般に、救急医療措置として行われている心肺蘇生法の手順は、気道の確保、人工呼吸、心臓マッサージ及び薬剤の投与等とされており、そのうち人工呼吸法としては、主に口対口法と用手法(ホワード法)があり、前者は人工呼吸の基本とされているが、後者もとつさの場合における一時的救急法として用いられており、また、人工呼吸を行つても心拍動が得られない場合には直ちに心臓マッサージを行わなければならず、この手順ないしいずれを選択するかは結局のところ、もつぱら当該患者の症状、容態や治療経過等を的確に把握しながら臨機応変に対処すべき事柄であるといわなければならない。

これを本件についてみるに、前記認定のように、被告は、光一の容態が急変(けいれん等をともなう急激なショック症状を惹起)した際、口中からの吐物を現認すると同時に、喘息発作による気管内分泌物(痰等)の存在するおそれもあつたことから、口対口法による人工呼吸ではその効果が十分に得られないと判断して、とつさに用手法を用いたものであり、しかも、すでに心停止の状態ににあつたのであるから、被告がこれに対処するため心臓マッサージに主力をそそいだことも、本件の場合、相当な救急措置であつて、被告に責むべき懈怠はなかつたというべきである。

2  救急車出動要請の懈怠について

前記認定のとおり、被告は、妻博子を介して即時、救急車の出動を要請しており、途中でこれを断つた事実は窺われず、その到着が遅れて間に合わなかつたのは、当時、偶々運悪く近くに救急車がいなかつたためであるから、この点についても被告に懈怠はない。

四以上の次第で、光一の死亡原因は、要するに、極めて長期間にわたる小児気管支喘息の重積状態から起つた急激かつ重篤な喘息発作による急性心不全の併発とみるほかなく、たとえ、原告の指摘するような最善の措置がとられたとしても、光一死亡の結果を回避することは到底困難であつたと推測されるから、その間に因果関係自体を肯認することもできない。

五よつて、原告の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(永岡正毅 岡原剛 栂村明剛)

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